Orange County Buddhist Church
浄土真宗にめぐり遇えて
新しい年2008年がはじまりまして、早くも2月を迎えております。
今月号より宮地先生と交代して、隔月に光輪ニュースレターに私のご法話を寄稿させていただくことになりました。
昨年は当仏教会の皆さまから、多大なるご支援と温かいお育てをいただきまして、誠にありがとうございました。 おかげさまで、本山浄土真宗本願寺派より教師の資格をいただくことができました。あらためて深く御礼申し上げます。
これからも現在、在学中の仏教大学院(IBS)修士課程の勉学を続けながら、当仏教会でお勤めさせていただけることは、私にとって身に余る幸せでございます。引き続き、皆さまからのお育てをいただきますように、よろしくお願い申し上げます。
さて、はじめての光輪ニュースレターに何を書かしてもらおうかと考えましたところ、今回は私たちがそれぞれどのようにして、ご開山親鸞聖人が開かれた浄土真宗にめぐり遇えることができたかを振り返ってみたいと思います。
私の場合は、今から十八年前に五十八歳という若さでこの世を去った母親の死が、私を浄土真宗のみ教えに導いてくれました。京都で生まれて、本山浄土真宗本願寺派の宗門校である京都女子中学・高校・大学を卒業した私でしたが、三十一歳で母親との悲しい別れを体験することによって、嫁いだアメリカの土地で浄土真宗に再度めぐり遇うことができました。一人っ子である私にとって、一番身近で何でも話すことができた母親を亡くしたことは、とても多きな損失でした。しかし、母親は自分の死をもって、私に生命の尊さと儚さを教えてくれたのです。そして、私が生まれてきた意味、これから生きる目的を自分に問う機会をくれました。
ご開山親鸞聖人は、一生涯をかけて「生死いづべき道」を求められた方です。浄土真宗のみ教えを学ぶということは、この私の救いの道を、親鸞聖人があきらかにされた教えにたずねてゆく営みといえるでしょう。 人生の苦悩を縁として、私たちの救いの道への探求は始まります。
阿弥陀如来さまが生きとし生けるすべての者にかけられている尊いご本願に、私たちの生命のあり方を問い、生きる目的をしっかり定めることによって、私たちの人生はより一層意味あるものになるのではないでしょうか。
親鸞聖人がお開きになった浄土真宗のみ教えをお聴聞しながら、皆さまとご一緒に如来さまのご本願を聞きひらいていきたいと思います。
最後に「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」の総序にある、親鸞聖人が如来さまのご本願に遇われた慶びのご文を拝読いたしましょう。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏(中国)・日域(日本)の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。 真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。 ここをもって聞くところを慶び、獲つところを嘆ずるなりと。(浄土真宗聖典 注釈版 P.132)
現代語訳:ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如来の恩徳の深いことを明らかに知った。そこで、聞かせていただいたところをたたえるのである。
南無阿弥陀仏 ワンドラ 睦
February 2008
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