Orange County Buddhist Church
お地蔵さま 最終回
先月7月号の続きです。
地蔵和讃
こわやこわやと逃げ迷ひ
父を呼べども父もこず
母を呼べ共母とても
知らぬが死出の山路なり
此の苦しみを如何にせん
こけつ転びつ憧がれて
逢ひたや見たや恋しやと
もだへ歎くぞ哀れなり
其の時誰か悲しむや
地蔵菩薩に如くは無し
遥か谷間の彼方より
光明かがやき尊くも
子供の前に立ち給ひ
なにを歎くか嬰児よ
汝等のいのち短くて
冥土の旅に来るなり
娑婆は冥土を程遠し
われを冥土の父母と
思ふて明け暮れ頼めよと
幼きものを御衣の
裳の内にかき入れて
未だ歩まぬ幼児を
錫杖の柄に取りつかせ
忍辱慈悲の御肌に
抱き抱へて撫でさすり
憐れみ給ふぞ有り難や
是を思へば皆人よ
子を先立てて悲しくば
西に向いて手を合し
残る我が身を今しばし
命ををはる其の時は
同じ蓮のうてなにて
導引したまへ地蔵尊
朝な夕なに仏壇に
念仏供養を致すべし
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
西院の河原は「左此の河原」のことであり、京都の賀茂川と桂川の合流するあたりの河原を昔、左此の河原と呼んだのであります。
八七〇年頃その河原は、庶民の葬送(死んだ人を火葬・土葬にする所)の地と定められていたのであります。
後に、この葬送は京都の七条に移されましたが十五歳以下の子供は、やはり左此の河原に葬られることに定められていました。
当時の習わしとして、子供の葬儀は行わず葬地に捨てることになっていました。
親や親戚の者によって幼児はこの河原に屍を埋められ、河原の石を重ねて塔婆になぞられ死者の菩提を弔ったことでありましょう。
この悲しくも哀れな「別れ」を地蔵菩薩の大悲にゆだね、救いを求めた民衆の血と涙がこの「地蔵和讃」の中に流れているのであります。
ここにご紹介しました「地蔵和讃」の意訳は必要ないと思いますが、どうかゆっくりと何度も何度も繰り返してお読み下されば大意はお解りになられることと思います。
参考文献 紀野一義「地蔵菩薩」
合掌 宮 地
September 2007
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