Orange County Buddhist Church

『わが信念』最終回

清沢満之師

 先月号では清沢満之師(以後満之と省略する)の信仰の告白について述べたが、今月号では満之が信仰をいただくまでの日常の生活が厳しい賢善精進からはなれることが出来なかった時代の苦しみを通して他力本願に至った過程を述べてみる。

満之は禅の修行僧のように厳粛な、自戒生活を送り特に人の目が届かない時は、一層厳しい節制をしたようであった。その為、満之は結核におかされ倒れることが幾度かあった。彼はそれでも言葉を続ける。

【言葉を慎まねばならぬ、行いを正しくせねばならぬ、法律を犯してはならぬ、道徳をやぶりてはならぬ、礼儀を違うてはならぬ、作法を乱してはならぬ、他人に対する義務、家庭における義務、社会における義務、親に対する義務、国に対する義務、夫に対する義務、妻に対する義務、兄弟に対する義務、朋友に対する義務、善人に対する義務、悪人に対する義務、長者に対する義務、幼者に対する義務など所詮人倫道徳の教えより出ずるところの義務のみにてもこれを実行することは決して容易なことではない。

もし真面目にこれを遂行せんとせばついに「不可能」の嘆きに帰するより外なきことである。

私はこの「不可能」につき当たりて非常なる苦しみを致しました。もしかくの如き「不可能」のことのためにどこ迄も苦しまねばならなぬならば、私はとっくに自殺を遂げたでありましょう。

しかるに私は宗教によりて、この苦しみを脱し、今は自殺の必要を感じませぬ、即ち無限大悲の如来を信ずることによりて今日の安楽と平穏とを得ておることであります。

無限大悲の如来は如何にして、私にこの平安を得しめたもうか、外ではない、一切の責任を引き受けて下さることによりて、私を救済したもうことである。

・・・(中略)・・・

私はただこの如来を信ずるのみにて常に平安に住することが出来る。

如来の能力は無限である。如来の能力は無上である。如来の能力は一切の場合、遍満している。如来の能力は十方にわたりて自由自在・無碍無疑(何ものにも妨げをうけない)に活動し給う。

私はこの如来の威神力(おごそかで大いなる)に寄托(全てゆだねる)して大安楽と大平穏とを得ることである。私は私の生死の大事をこの如来に寄托して少しも不安や不平を感ずることがない】

と彼の著書『わが信念』で言い切っておられるのである。

これをもって清沢満之師の純粋他力の信仰については終わりますが、まだまだ彼の著書『わが信念』から学ぶものがあります。

しかし三月に渡り、皆さまと共に『わが信念』を味わさせていただきましたので、ここでいちよう終らせていただきまが又何かの機会にご紹介出来たらと思っております。

合掌                    宮地


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