Orange County Buddhist Church

「生きとし 生けるもの」の

メモリアル  サービス

当仏教会のダールマスクール主催で毎年営まれます、生きとし 生けるものに対して感謝をする法要が「生きとし 生けるもの」のメモリアル サービスと名付けられて十一月に営まれています。

人間の生命は、宇宙のありとあらゆるものから支えられ、護られ、与えられて存在しています。

私たちは、これらの大きな自然の恩恵に対していったいどれ程感謝し、お礼を申し上げているでしょうか。どれ程の心をもって、動物や植物に対して愛情をそそいでいることでしょうか。

雑草一本にも命があります。蟻や虫にも家族があり、集団の規律のもとに生きています。

私たちはゴキブリや蜘など、自分の嫌いなものは容赦なく殺してしまいます。また、それは当然退治すべきものとして、平気で殺してはいないでしょか?

私たちが毎日食べているものには殆ど命があり、その命を奪っています。肉・魚・鳥・野菜・果物などどれ一つとっても生きているものばかりです。

私がお金を出して買ったものだから、当然食べてもよい。

いや、人間     は他の命を奪って当然生きている者だと考えている方もおられるでしょう。

確かに、人間は生命保存の立場から他の生きものに依存しなければなりません。

だからこそ、人間として忘れてはならない事は、こういった〈生きとし 生けるもの〉に対して〔慈しみの心〕〔慈愛の心〕をもって接してゆくことが大切なのではないでしょうか。

『賤民経』という原始仏教経典の中に

    生きとし 生けるものに
 
    慈悲なき者は、賤しき人と
 
    知るべし

とあります。

動物や植物、あらゆる生きものに対して愛情が無い人間は、本当に心の貧しい賤しい人であると教えています。

オレンジ郡仏教会のダールマスクール主催で営まれます「生きとし 生けるもの」のメモリアル サービスを通して、全てのものに感謝する心と、愛の心で自然に触れることが出来る温かい人間にならせていただくのです。

そういした〔慈しみ〕のある心の人は、本当に人生が味わいのある美しいものになってまいりましょう。

日本はもとより、世界の数学者と呼ばれています岡 潔氏は「春宵話」の中で

    道義の根本は、ひとの悲しみが
 
    わかるということである。 
 
    しかし、ひとの悲しむ姿を 
 
    見て自分も悲しくなるという 
 
    ことになれば、それはすでに 
 
    宗教の世界に入ったのである。 

と述べておられます。

これは簡単そうに見えますが、本当に心の底から他人の苦しみや悲しみを自分のものにすることは、なかなか難しいことです。

私たちは困っている人を見ると、一応は表面的に同情を示しますが、心では自分はそうならなくて良かったと安堵の胸をなでおろしてはいないでしょうか。

身障者、病人、老人、生活困窮者などは邪魔者扱いされ、早く私の目の前から消えてくれた方がよいと願ってはいないでしょうか。

また、時には私は他の人より少しは思いやりの心を他人に与えることが出来ると自惚れてはいないでしょうか。

反省したいものであります。

ローマのカプチーマ教会のカタコンベには、

    われらはかつて汝のごとく
 
    なりき、汝もやがて、
 
    われらのごとくならん

と記されています。

私たちは日々、年々年老いて行きます。いつ重い病気にかかるかもしれません。いつ大きな罪を犯すかもしれません。

その時になって他人様は冷たい、誰もこの私の苦しみをわかってくれないと泣き悲しんでも、もう遅すぎます。

それは丁度、山彦のように「バカヤロ!」と云った自分の声が返って来るようなものです。

今から、今日から少しでも〈生きとし 生けるもの〉に慈愛の心を向け、慈しみのある人生にして往こうではありませんか。

あなたのささげた愛の心は、必ずまたあなたに返って来るのですから‥。

合掌   宮 地

October 2007

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