Orange County Buddhist Church

永代経に想う

    永代経とは永代読経の略で、お経を読み先亡者追弔の意思を末代まで伝えていこうとするものである。

永代経の勤めかたには二通りあって、一つは特定の先亡者一人に対するものと、もう一つは先亡者数人を総括して営む総永代経とがある。

永代経の歴史はあまり明らかではないが、浄土真宗の文献には今から三百二十年前、第十四門主寂如上人(一六六二年)に執行された歴史がある。

永代経法要は、寺院の財政的援助に貢献している行事の一つでもあるが、真宗ではこの永代経法要を通し、お念仏のみ教えを伝える時と場のご縁として、また聴聞させていただく機会を与えられたものである。

    以前、私がシアトルに勤務していた時、別院では毎年一度「無縁永代経」が、大法要の一つとして厳修されていた。

アメリカ各州の各地の墓地に日系人のお墓がよくかたまってある。そのひとつに、シアトルの郊外にクインアン墓地というのがある。

そこに昔、日系一世の方々が鉄道の仕事に従事され、亡くなっていかれた古いお墓がある。今は、墓参される家族もなく無縁の墓となりはてている。

私は、毎年その墓前で、お盆の時などメンバーの方々と読経させていただくが、何故かそのつど私の胸がいっぱいにさせられ感慨無量になる。

一世の方々は言葉も文化も違うアメリカの土地で血の出るような生涯を送られた。その今は亡き一世の方々が、誰からも花も線香も供えてもらうことなく静かに眠っておられるのである。(私は、あえて眠っておられると云う表現を使わせていただく)読経のなか、静かに線香の青い煙がのぼる風景は、私にとってシアトルでの素晴らしい想い出の一つである。

   念仏者は時には巧利的な立場を離れて、しかも永代に続くこういった無縁の方々へのご供養も忘れてはならないように思う。

「そのゆえは一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」

これは、聖人のお言葉であるが、ひろく世々生々にわたって永い眼でみてみるとき、すべての生きとし生けるものがみんな、いつかは父母であり兄弟である間柄ばかりであるという意でありましょう。

永代経といえば、時間的に永がさや連続性を強調されるべきものであるのには違いないが、私は永代経を一度横の広がりとして眺めて見てはと思い、秋の夜長に感ずるがままに書かせていただきました。

合掌   宮地

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