Orange County Buddhist Church

竹内てるよの人生 ①

 毎日のテレビ・新聞などで報じられている事件は、目や耳を覆いたくなるようなことばかりです。

一口に云えば、現代ほど人間が疎外されている時代は無いといっても過言ではありません。冷え切った人間関係・人間不信は、政治・社会から個々の家庭にまで腐食を与えています。

その証拠に現代人は自己の主張が強く、我のみが正しく、いつも自分が中心にならないと気に入らないのです。

謙虚や感謝を欠いた人間の生活からは、安らぎや心の温まることを知らないのです。故に孤独な自分になり、寂しい自己の中に閉じこもってしまうのです。

そこから何か刺激を外に求め、酒・乱交・ドラッグ・ギャンブルなどでその寂しさを紛らわそうと必死になるのです。

私たちはもう一度最初から自分の人生を見つめなおしながら、世の中を少しでも安穏なるものになるように考えなおす必要があるのではないでしょうか?

そして、本当の幸せな人生とは何か。どこにあるのかをゆっくり考えてみる時が来ているように思われます。

しかし、それは非常に単純でしかも面白みを欠くことであり「そんなバカらしいこと」「どうにも成らないことを今さら考えても仕方がない」と云われそうですが、今一番先にやらなければならない事でもあるのです。

 そこで今日は、竹内てるよという一人の女性を紹介したいのです。

私自身、竹内女史を勉強した訳ではないのです。ある日、小さな新聞記事の『貴い平凡な生き方・幸福は日常の中に』というタイトルが私の心に強く感じるものがあり、今でもその切抜きを大切にしまっています。

その記事の掲載者、竹内てるよさんは北海道の生まれであり、父はその地の名門の一人息子であったことを後に知ります。母はその家の女中であり、高等官判事であった祖父は大変厳格な人であったといいます。

その一人息子と女中との間に誰からも祝福されず生まれたのが、てるよさんなのです。その後、祖父の計らいで女中であった母に幾分かのお金を渡し、彼女と母はその家を出されるのです。母は次の仕事の為に、泣く泣く赤ん坊であった彼女を祖父の知り合いに預けることになるのです。しかし、我が子に自由に逢うことも許されない母は、涙の毎日を送るのですが次の歳の冬、石狩川に投身したのです。

てるよさんは、母が無いまま青春を送り、幸いに二十歳の時に結婚。その後自分も母になり、亡き母の分まで幸せに生きるのだと希望に輝いていました。しかし、そうした幸せも長くは続かなかったのです。

彼女は結核にかかり入院、そして離婚にまでいたったのです。長い闘病生活が続き、その間に子供(男の子)を預けてあった以前の夫が事故で亡くなったことを知るのです。

たった一つの望みであった自分の子供がどうなり、今どうしているのか、いつも頭から離れなかったのですが、やっと得た手がかりは行方不明ということだけでした。闘病とともにてるよさんは、再び我が子に巡り会える日を頼りに文筆一筋に生きることを決心し、詩に文学に命をかけたのです。

やっと二十五年目にして逢った我が子は名古屋の刑務所にヤクザとして入所していたのです。てるよさんは、自分の生涯はこの我が子が再生してくれることにあると考え、出所を待って母と子との必死に生きる人生が始まるのです。

やがて、ちょうど春に雪が少しづつ溶けてゆくように、この母子にも笑い合える日が来たのです。日に日に息子が明るくなり、ある日「まじめに会社で働きたい」と言い出し、てるよさんを喜ばせました。

彼は会社の試験に合格、あとは身体検査だけとなりました。検査の結果、医師より特別通知があり「舌癌の前兆があるので、すぐ専門医にかかるように」とのことでした。

十二月号に続きます。

合掌     宮地

November 2007

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