Orange County Buddhist Church
本願寺第十一代門主 顕如上人
このロスアンゼルス地方の日本語テレビの番組で司馬遼太郎著による、大河ドラマ「功名が辻」が今、皆さんの中で大変話題になっています。
この番組は、日本語の視聴者だけでなく、英語の方々も多くご覧になっているようです。仏教会の英語を話すメンバーの方々からもこの時代のことをよく質問されます。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の将軍については大変詳しい方々もおられます。
さて、この物語の主人公である山内一豊「(かづとよ)とにごってよんでも可」という武将は、戦国時代に色々と戦果を挙げ、ついに一国一城の主と出世するのですが、当時の時代を考えれば、それは並々ならぬ努力と運があったことと思います。また一豊の場合、彼の妻、千代の功績が大であったことも忘れてはならないでしょうがここではそれについては省略させていただきます。
さて、この山内一豊は高知県と大変深い関係があります。後には、土佐藩二十万石の高知城主に成ります。
皆さま、ご存知でしょうか私し、宮地彰雄も高知県出身で、土佐のお米で育ちました。しかし、私は一豊のように立身出世はしませんでしたが、山内一豊には大変親しみを感じます。
そこで、一豊の時代と本願寺の歴史を少し比べて見ようと思います。
これらの戦国時代は関原合戦をもってピークに達します。この混乱時代を本願寺の歴史で見てみますと、親鸞聖人ご往生から約四〇〇年ぐらいが過ぎたころになります。この時代の本願寺のご門主は、十二代に当たります「顕如上人」でした。
この時代は、浄土真宗の門徒の数は膨大なものであり、大変勢力をもっておりました。
その歴史的証拠となるものは多く残されていますが、ここに一つだけ次の資料を紹介しましょう。
当時、キリスト教の教えは日本にひろがろうとしていました。その宣教師でスパル ピレラが書き残した書状に次のようなものがあります。
「本願寺は日本で最も大きい宗派で庶民の代多数が所属している。宗派の統率者(ご門主)は妻帯しており、世襲制(血脈相続)でその地位を継承する。
信者からは非常な尊敬を受け、その姿を見るだけで皆涙を流す。そして多数の金銭を寄進する・・(中略)・・毎年盛大な法会(報恩講を指すと思われる)を行い、その式に参詣しようとたくさんの群集が門前に待ち受け、門が開くと同時に競って入ろうとするので死者が出ることもある」
この書状は宗門内の人によって書かれたものではなく、キリスト教の宣教師よって書かれたものであります。(日本語にしたのは日本人かもしれない)決して誇張されたものではないと思います。
しかし、時代は「巧名が辻」で見られるように戦国大名が互いに天下を取る機会をねらっていました。越後の上杉謙信、甲斐の武田信玄、相模の北条、三河の徳川、尾張の織田、越前の朝倉、近江の浅井、中国の毛利などであります。
そして「功名が辻」にありましたように、織田信長の勢力が強くなり天下統一をめざします。その時、織田にとって大きな脅威は「本願寺」の力です。
「次号に続きます」
参照文献「図鑑 顕如上人余芳」 本願寺出版
合掌 宮 地
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