Orange County Buddhist Church
まことの歓び
お釈迦さまは、菩提樹の下で悟りを開らかれました。そして悟りを開かれる以前、一緒に苦行や勉強をした五人の友達(五比丘)に会われました。友達はお釈迦さまの輝くお姿に魅了され、お釈迦さまに尋ねました「どうしてそんなに自信に満ちた、幸せなお姿に成られたのですか」
お釈迦さまは、お答えになられました「それは絶対普遍の真理を見極めたからでしょう」
友達たちは「私たちも苦行をして真理を見極めようと励んでいます。しかしどうしても絶対普遍の真理を体得することが出来なくて困っています。どうか、ここでその悟りの内容をお教え願えないでしょうか」と頼みました。そして静かにお釈迦さまの周りに座わりました。
お釈迦さまは、ゆっくりご説法を始められました。比丘たちは、黄金の説法を期待しながら聞きました。
釈尊の最初のご説法は「四真諦」からであったと言います。この初説法ことを「初転法輪」とよびます。すなわち、大きな仏教の教え(ダルマ)が回り始めたのです。
では、「四真諦」とはどんな教えなのでしょうか?
お釈迦さまの第一声は、宇宙一切のものは「因果」の原理に基ずいている。という因果説をお説きになりました。
そこから「人間の苦」について語り始められました。「人間の一生は、苦しみと共にある。それは、すなわち、生・老・病・死の四苦という、根本苦の上に、人の人生があるからである」とお話になられました。
比丘達の期待は、釈尊が素晴らしい、宝石のような輝きのある説法をされることでした。しかし、釈尊のお話が否定的なので、初めのうちは大変失望しながら聞いていました。しかし、聴聞をするうちにその教えが「真実」の教えであることに気が付き始めました。
そうです、私たち自身の人生を見つめるとき、このお釈迦さまのお話であることにうなずきます。私たちは、今人間として生まれ、学校で勉強をし、社会に出て、結婚をし家庭を持つ。定年退職をし、敬老として色々の世話になり、介護の人の世話になり、最後は葬儀社のお世話になる人生です。
現代人は良く働きます。しかし、少し油断をすると他の人に追い抜かれたり、負けたりします。特に、日本人は「働き虫」を云われるぐらい良く働きます。
私の弟、信雄からこんな話を聞いたことがあります。
Aさんは、今流行のコンピューター会社に勤めている中年のサラリーマンでした。入社当時から、朝から夜遅くまで一生懸命働きました。その甲斐あってか、めずらしく破格の出世を遂げました。若くして課長の椅子に座ったAさんは、以前にもまして仕事に精を出しました。そして今では会社の中でも押しもおされぬ大事な人になっていたのです。
そんなある日、意地悪く彼の健康は崩れ始めました。今までの過労が原因で、長期療養を要する病気にとりつかれたのです。もう一歩で部長になるという夢が、一時中断されたのです。
無念さに涙しながら、彼の闘病生活が始まりました。
Aさんは、ここでくじけてはならない、早く良くなって職場に戻らなければならないと思いました。
さて、いよいよ退院の日がやってきました。待ちにまった日です。急いで会社に走り込んで行きました。三ヶ月のブランクが、どれ程会社に損害を与えたかを思うともう彼は腕まくりをはじめていました。でもどうでしょう、彼がオフィスにとび込むと、そこにはすでに彼の部下がテキパキと仕事を運んでいるではありませんか。でも成績や売り上げはガタ落ちだろうと思って調べてみますと、何んと売り上げはこの三ヶ月間、上昇の一方を示しているではありませんか。彼はショックでした。しかし、彼は今までよくめんどうをみた部下達のオフィスは、やはり俺を必要としているだろうと思い、少しさぐりを入れてみました。すると、彼の代理で頑張っている若い課長代理の方が、仕事はスムースに進んでいるし、社員達もやる気が出ているという答えが返ってきました。
Aさんはガックリ肩を落とし寝込んでしまいました。彼にとって、会社は生き甲斐だったのです。
しかし会社にとっては、彼は一つの機会の部品にすぎませんでした。部品は所詮部品です。いったんいたんだら、すぐ新しい部品に取り替えられるのです。
これに気ずいたAさんは生きる喜びと目的を失ってしまいました。フッと気がついてみるとビルの屋上に立って自分の靴を脱ぎ下を見下ろしているAさんでした。その時、今は亡き彼のおばあちゃんがお仏壇のお花を裏の庭で切っている姿が一瞬脳裏をかすめました。
彼は何かを感じ、靴をはき直しました。
さて、Aさんにとって生きる喜びとは、一体何んだったのでしょう。Aさんは、本当に人生を喜んで生きていたのでしょうか。人間の喜びは、うまくいっている時はいいのですが、それが崩れると悲しみとなる性格のものです。
一方、仏さまからいただく慶びはとは、決して悲しみに変わることのない慶びです。それは何故でしょう、そうです、お釈迦さまの教えであります「転悪成善」が、はたらくのです。苦という因を得ても善に転じていきます。それはお念仏のはたらきがあるからこそ、転じていく世界が恵まれてくるのです。それは「信心」のおはたらきによるものなのでしょう。
最後にまとめておきます。我々の人生には生・老・病・死のように「苦」が付きまといます。しかし、仏教のみ教えはそれらの「苦」をそのまま受け止めるのです。そして、信心の力でその苦を「善」に転じていくことが出来る道を教えて下さっているのです。
今のこのままの私が何と、恵まれていた私であったと「慶び」の人生に感謝をしながら、お念仏をさせていただきお礼をさせていただきましょう。
合掌 宮地
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