Orange County Buddhist Church
まことのよろこび
人生は苦である。 生・老・病・死これを四苦と云い、 愛別離苦怨憎会苦 不求得苦 五陰盛苦を八苦と云う。
これを仏教では四苦八苦とよび、私たちの人生における苦しみを云ったものであります。
では人生は唯苦しみだけなのでしょうか。
この問いに対しての答えを先に出しておきましょう。
仏教では「まことの慶び」をこの人生で得られることを教えてくれます。
まず第一に信心をいただき、永遠に変わらない阿弥陀さまの浄土に生まれさせていただくことをこの人生で決定させていただくことです。
そう言った意味ではこの人生が大切になってきます。
仏教徒が四月にお釈迦さまの誕生をお祝いします。そのときのお話でお釈迦さまが七歩あゆまれ「天上天下唯我独尊」と宣言されました。その意味はいろいろの解釈が従来からされていますが、私は次ぎのように受け取らせていただいております。
唯我独尊とは私が一番偉いと云うのではなく、私が人間としてこの世に生まれたおかげで阿弥陀さまのみ教えに遇うことが出来ますという慶びの宣言なのです。
さて話を本題の「人生は苦なり」にもどしましょう。
人生は苦るしいものでありますが、私たち仏教徒にはお念仏をいただき、お浄土にいずれは生まれさせていただく絶大なる「慶び」がありますが、もしお念仏に出会うことが無かったらこの人生は大変に虚しいものになってしまいます。
その一つとしてここにあるお話を紹介いたしましょう。
Aさんはあまり大きくありませんが、今流行のコンピューター会社に勤めている中年のサラリーマンでした。入社当時から、朝から晩まで一生懸命に働きました。その甲斐あってか、めずらしく破格の出世を遂げました。若くして課長の椅子に座った さんは、以前にも増して仕事に精を出しました。そして今では会社中押しも押されもしない大事な人になっていたのです。
そんなある日、意地悪く彼の健康は崩れはじめました。今までの過労が原因で長期の療養を要する病にとりつかれてしまったのです。もう一歩で部長になれるという夢が一時中断されたのです。無念さに涙しながら彼の闘病生活が始まりましたが、ここでくじけてはならないと療養に精を出したのです。
さて、いよいよ退院の日がやって来ました。待ちに待った日です。彼は急いで会社に走り込んで行きたい気持ちで一杯です。三ヶ月のブランクがどれ程会社に損害を与えたかを思うと:、彼はすぐに腕まくりをはじめていました。でも、どうでしょう。彼がオフィースに飛び込むと、そこには、チャンと彼の部下がテキパキと仕事をこなしているではありませんか。でも成績や売上はきっとがた落ちだろうと思って調べてみますと、何と売上はこの三ヶ月間上昇一方を示しているではありませんか。彼はショックでした。しかしきっと今まで面倒をみてきた部下達は、俺を必要としているだろうと思い、少しさぐりを入れてみると自分の代理で頑張っている若い課長代理の方が仕事をスムースに運んでいるし、他の社員たちもやる気を出しているという答えが、上司からも返ってきたのです。 さんはガックリ肩を落とし寝込んでしまったのです。
彼にとって会社は生き甲斐だったのです。しかし、会社にとって彼はだだの歯車の一つにすぎなかったのです。たとへその歯車が大きくても歯車は所詮歯車です。痛んだら取り替えられるのです。
自分がその会社の歯車にすぎなかったと気がついた さんは、生きる喜びをすっかり失ってしまいました。フッと気がついてみると、ビルの屋上から下を見下ろしている さんでした。
さて、Aさんにとって生きる喜びとは、一体何だったのでしょう。 さんは本当に人生を喜んで生きていたのでしょうか。
人間の喜びは、うまくいっている時は良いのですが、それが崩れると悲しみとなる性格のものです。
一方、仏さまの教えるよろこびとは、決して悲しみに変わることのない慶びとも云えます。それは人間に生まれたこと、誕生の慶びとも云えます。人間として生きる限り、どんなことでも、例えそれが一般に云う不幸なことであっても、この慶びの種にならないものはないのです。
これを仏教で言う「まことのよろこび」と言うのです。
合掌 宮地