Orange County Buddhist Church

菊と刀

 今月号より皆さまに世界的人類学者ルース ベネディクト(Ruth Benedict)の『菊と刀』(The chrysanthemum and the sward)の本について、お話していきたいと思います。

今回は、長谷川松治氏の訳本にお世話になります。

『菊と刀』は、第二次世界大戦を通してアメリカ人が日本という国・文化そして、日本人を理解しようとして書かれたものであります。

また、外国人が、日本という国を客観的に鋭く観察した書物です。

当初の目的は、アメリカ政府がこれから長い大戦となる敵国すなわち、日本という国を理解しそれを軍事的に参考にするものでありました。

しかし、今日再び人類学的立場からこの書物が見直されています。何故ならば、ルース ベネディクトの詩人としての愛の心・平和主義者としての精神が、この本の底に流れているからです。

著者ルース ベネディクトは、一八八七年にニューヨーク市で生まれ、旧家の出身です。

祖父のノウヴァ スコウシアは、カナダからアメリカ合衆国に一八〇二年頃に移ってきました。当時カナダは英国領であり、祖父は、徹底した自由主義者でありました。

しかし、祖父スコウシアはジョージ ワシントンを大変尊敬していました。そういった事もあり祖父は一家を連れてアメリカに移住したのでした。

ルーズ ベネディクトは、若い頃よりヨーロッパに遊学し、スイス・ドイツ・イタリアなどでその国の中に溶け込み、各国の風俗や習慣を学びました。この事が、後の彼女の人類学の基礎をつくったと云ってもよいでしょう。

一九一四年、彼女はアメリカの生物学者スタンレイ ベネディクト博士と結婚をし、ルース スコウシアからルース ベネディクトと名前が変わったのです。しかし、夫スタンレー氏は若くして逝去しています。

彼女が平和主義であり、学問として人類学を選んだ最大の理由は、戦争や国際間の争いが民族相互間の理解の欠如から起こると固く信じていたからです。

そして、人類学の研究こそ民族の閉ざされた扉を開く鍵であり、国際間の真の理解を築き上げる基礎であると確信していたからです。

後に彼女の人類学研究は世界的に名を上げ、ボアズ(アメリカの人類社会学者として第一人者)に次ぐ地位につきました。

彼女がこの『菊と刀』の著作にあたって、日本にぜひ渡り日本に住み、日本人の中に溶け込みたいと願望しましたが、その時すでに第二次世界大戦に突入していた為に彼女は日本へ行くことが出来なかったのです。

よって『菊と刀』は、彼女の独自の研究と経験を生かしながら、アメリカにいる日系人を通して得た知識で書きあげられたものです。

 さて、次に何故私がこの『菊と刀』をここで紹介しようとしたのか、一寸説明をしておきましょう。

今、アメリカには多くの日系人の方々がおられます。一世から今は四・五世までが、特にここカリフォルニアにおられます。

しかし一・二・三・四・五世は、それぞれ思考・習慣・文化が違ってきています。それが世代のギャプとなって団体組織・各家庭にもカゲを落としているのです。この問題を『菊と刀』から何かを学び、解決が出来ればと考えたからです。

この本は、先ず第一章に日本人の思想・態度・考え方と西洋的思想・態度・考え方の違いを“戦争”という立場から述べています。長文なのでまとめますと次のごとくです。

 『菊と刀』 第一章の要約

この大戦に向かって、日本の軍部・政府は次のように国民に植えつけた。“この戦いは日本帝国の「精神」で勝てる”と信じ、これに対してアメリカは「物質力」で勝てると信じたのです。

これはもちろん、極端な言い方であり、日本も物質の生産に全力を尽くし「国民総生産」の時代であったことは云うまでもなかったのですが、その働く力の底には「日本精神」の流れがあったのです。この事をベネディクトは、次の物語を引用しています。

  『菊と刀』第二章の一文

空中戦が終わってから日本の飛行機は、三機または四機の小編隊に分かれて基地に帰って来た。最初の帰着した数機の中の一機に、一人の大尉が搭乗していた。

愛機から降りたこの大尉は、地上に突っ立って双眼鏡で空を見つめていた。部下が帰って来るのを数えていたのである。

少し顔色が青ざめてはいたが、まったくしっかりしていた。彼は最後の飛行機が帰着したのを見届けてから報告書を作成し、司令部に向かった。

司令部に着いて司令官に報告を終えるや否や、突然彼は崩れるように倒れた。

その場に居合わせた士官たちは、急いで駆け寄り助け起こそうとしたが、その時彼は事切れていた。体はすでに冷たくなっていた。

そして胸には一発敵弾を受けており、それが致命傷となっていたことがわかった。

今、息をひきとったばかりの体が冷たくなるわけわない。にもかかわらず大尉の体は、氷のように冷たくなっていた。

彼はずっと前に死んでいたのに相違ない。報告をしたのはその魂だったのだ。

戦死した大尉のもっていた厳格な責任感によって、このような奇跡的な事実が成し遂げられたのに相違ない。

この物語(実話でありますが、物語と呼ばせていただきます)を引用してベネディクトは、日本人の「精神」的戦闘心を表わしています。

 さて、ここで皆様にお尋ねします。皆様の中でこの物語の大尉は英雄であり、立派な軍人であると思う方は「日本的思考・文化・精神」に強く影響を受けた方でありましょう。

また一方、これはとんでもない物語であり、多分作り話であろうと思う思考・文化の方もあることを知っておかねばなりません。

例えば、この大尉の行為は非合理的であり、命をなくした後まで司令官に報告する必要があるのだろうか、と思う方は「西洋的思考・文化」の影響を受けた方と云えましょうか。

私は東洋思考が優れているとか、西洋的思考・文化が良いと云っているのではありませんので、念の為に申し上げておきます。

ベネディクトはさらに、この日本精神の表われとして「神風」を説明しています。

それは、あのちっぽけな飛行機で敵の軍艦をめがけ体あたりして自爆をする操縦士たちは、精神の物質に対する優越をものがたる、としています。

今月号の『菊と刀』は、次号に続きます。

合  掌
宮  地 

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