Orange County Buddhist Church
「これでよろしい」カントより
一九四一年十一月六日の出来事である。当時日本は、太平洋戦争直前の風雲急な社会状勢の中にあった。
そんな時、関釜連絡船で気比丸がソ連のしかけた機雷に触れ清津沖で遭難した。その連絡船に弘津正二という京都大学哲学科の学生が乗っていた。
当時の朝日新聞は、船の遭難の記事を詳しく書いている。また、それから数日後の朝刊には「帰らぬ京大生・・・気比丸哀話」と題して、この弘津正二のことを載せている。
それによると、弘津は機雷に触れて沈没する船と運命を共にしたのである。彼は、全力をそそいで書きおえた卒業論文「カントの実践哲学批判」を大切に胸に抱いて沈み行く気比丸の甲板上にたたずみ、隣の乗客から「学生さん早く乗りなさい」と云われても、彼は「どうぞ、お先に」と小さな救命ボートに人々を先に乗せ、煙草に火をつけ悠々と船と共に沈んでいった。
彼は平生「カント」が死に際して発した「これでよろしい」と云う言葉を好み、何かにつけて「これでよろしいEs istgut」と云ったそうである。
その後、弘津氏のたくさんの哲学論文や国家論・藝術論・宗教観・日記などが見つかり遺稿集として「若き哲学徒の手記」が出版された。
二十三才の生涯をひたすら人間の真の生き方をたずね、生死を越えて「これでよろしい」と云える人生観の確立を求めつづけた筆跡のなかから彼の至りついた境地は、次の彼の文章からうかがえる、
「人間は生を求めて生を得るに非ず、死を求めて死を得るものでもない、生死の彼岸にこそ絶対の生を得るものである。そして此の彼岸とは決して来世なるものを意味するのではない、生死を越えた現在を生きるのである」
また彼はこうも云っている、
「今に自分の生活そのものが念仏の生活にならねばならない、ただし私たちは一生坐って念仏を唱えていることはできない、そこで日常の行為の中で念仏を口にせずとも、念仏の精神に貫かれる時、そこに自分の中に仏の心が生きて来る。生きたい自分がそのまま仏になる、即ち即身成仏である。ここにその救いがあり極楽がある」
若干二十三才の青年としては誠にあざやかな生き方である。
ただ宗祖親鸞聖人のご精神からこの文を照らしあわせると、ちょっとした問題が無い訳でもない。
聖人は、浄土真宗でいう彌陀の信を得たところでは必ず称名念仏が具せるのである。すなわち、第十八願の信を覚えた時、必ずお念仏が口から出るものである。
もう一つは、即身成仏は真言の教義の中心でもあるが、聖人の教えは、今生で成仏させていただくことを決定(平生業成)するのであって、生きたまま成仏は出来ないのである。
唯し、私がここで申し上げたいことは、弘津氏の哲学的人生実践と親鸞聖人の念仏の生き方とを比較しようとしたのではなく、弘津氏の哲学がそのまま彼の生き方に実践され「これでよろしい」と云える、彼の人生に強く心惹かれたからでる。
私が、もしその甲板の上に同じ状態に置かれたら「どうぞ、お先に」と隣の人に譲り、自分は海の中に沈んでいけるだろうか、という疑問である。
弘津氏の人間としての美しい道徳精神にただただ頭が下がる思いである。
さて皆さまが、もし弘津氏と同じ立場になったらいかがされますか?正直に自分に答えてみてください。浄土真宗でいう凡夫とか、悪人とかという自覚はこういったところから味わえるものなのです。
「折々の法縁」谷川悟朗著より 引用
合掌 宮 地
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