Orange County Buddhist Church
過去と未来と今
赤ちゃんの記念写真で早くも過去が始まっている。
お念仏を頂いた時からお浄土の旅が始まっている。
この短歌の最初の一行は京都の美好梅子さんという方が作られたものです。生まれたばかりの赤ちゃんが写真を撮られたのを見て、作者は「もう過去が始まっている」と歌っています。過去といえば、何年もこの世に生きた人のことだと思っていましたが、生まれたての赤ちゃんにも「もう過去が始まっている」と云われてみると、それもそうだと頷くほかはありません。「ほら、これがあなたの生まれた時の写真ですよ」と告げられれば、まさしく過去の始まりということになるからです。
今日という日が次々と積み重なって、長い年月の過去が造られてゆきます。今日がわたしの最も新しい過去なのです。
それでは未来はいつから始まるのでしょうか。今日から明日へ、明日から明後日へ、そして、一月先、一年先、何十年先、何百年先の未来へと続いてゆきます。今この時からが、最も新しい未来なのです。この今をはずして過去や未来はないのです。逆説的に言い換えれば、未来も過去も今この時のなかにあるといえましょう。私たちが確かに生きているということは「今」この時以外には云えないのです。もちろん過去に生きてきたとか、未来に生きると云うことを申しますが、「今」をはずして云えるものではないのです。
このことをしっかり心におさめお念仏のお話を聴かせて頂きますと、浄土真宗の最も大切なみ教えであります「平生業成」が明らかになってまいります。
「嘆異抄」の第一章に、
「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すわち摂取不捨の利益にあずけしめたまふなり」
とありますように、本願を信じてお念仏を称えようと思った瞬間に、阿弥陀さまに救いとられて、阿弥陀さまと一緒の、浄土への旅が始まります。
ある人は、仏教の教えは「死」とか「死後」のことばかり云って、この人生に何んの役にも立たないと云いますが、この意見は、仏教というものがあまりわかっていない人と云えましょう。
平成業成とは、今この時、私の命のなかに仏さまのお慈悲が届き、摂取不捨すなわちもう捨てることのない阿弥陀さまのふところで生かされる人生にさせていただくことなのです。これこそ、大安心の人生ではありませんか。
「法話掲示板」杉本顕俊著 参考
合掌 宮地