Orange County Buddhist Church
お地蔵さま
日本の故郷には色々となつかしい風景が想い出されますが、特にこの季節の「地蔵盆」もその一つです。
村の辻に小さなお地蔵さまが、赤い布の胸当てをかけて立っておられるお姿は、遠く子供の頃から馴染み深いものです。
このお地蔵さまの由来は、遠くは仏教の思想・信仰より伝えられて来たものです。
日本には天平時代に聖武天皇の妃 光明皇后により、天平十九年(七四七年)地蔵菩薩の像が造られています。
その後、特に真言宗の僧 恵運が地蔵信仰をひろめていかれたのです。
恵運は入唐八家の一人で、承和九年(八四二年)中国に渡り、温州の青龍寺で密教の修行をされた高僧です。
この恵運の影響を受け、日本人の大衆に溶け込み日本民俗として独自の地蔵信仰が広がり、お地蔵さまに関する行事が行われるようになったのです。
その代表的なものが
「地蔵悔過」「地蔵講」「地蔵巡礼」「地蔵流し」「千体地蔵」「地蔵盆」であり、日本の民衆の中で広まり伝えられて来たのです。
地蔵思想・信仰の根本経典は、「地蔵菩薩本願経」であります。この「経典」は、数多くある釈尊の経典の中でもユニークなものの一つです。
「地蔵菩薩本願経」は、お釈迦さまがご自分の母である摩耶夫人に対して説かれているものであり、釈尊がお母様に説法されているという大変ユニークな経典です。
さて、難しい話はこれくらいにしておき、日本人の心にあるお地蔵さまの話にもどりましょう。
日本人の地蔵信仰は、あの有名な「地蔵和讃」の物語に全て収められていると言っても過言ではありません。
「地蔵和讃」は一口に言えば、幼い子を亡くした父母の嘆きをそのままお地蔵さまの大悲につつまれまた、亡き幼子はお地蔵さまによって救われるしかないという親と子との愛別離苦を救ってくださる最後の道だと信じ伝えられているものです。
さて、この「地蔵和讃」とはどんな詩なのでしょう。
この「和讃」の原形は伝興教大師のものなどもありますが、一般によく知られているのは見伴上人の〔西の河原〕地蔵和讃でしょう。
和讃と申しましても親鸞聖人作の和讃ではありませんので、間違わないようにして下さい。
この「和讃」は少し長い詩ですが是非皆さまにご紹介したいと思います。
先ほども申しましたように、既に皆さまもご存知と思いますが、ここにご紹介するのは見伴上人のものです。
地蔵和讃
帰命頂礼地蔵尊
此れは此の世の事ならず
死出の山路の裾野なる
西の河原の物語
聞くにつけても哀れなり
此の世に生まれし甲斐も無く
二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬ嬰児が
皆この河原に集まりて
苦患を受くるぞ悲しけれ
娑婆と違ひて幼児が
雨露しのぐ住家さへ
無ければ涙の絶間なし
河原に明け暮れ野宿して
雨の降る日は雨にぬれ
雪降る夜は雪中に
凍えて皆々苦しめど
哀れ助くる者も無し
この地蔵和讃は私がここで注釈したり解釈を入れるよりも、皆さまが読まれたままの感情で充分にこの詩の心が伝わってくると思いますので、ここでは解釈は控えさせていただきます。
この和讃は「西の河原の物語」として、昔から日本に伝わって来たものですが、愛しい嬰児を亡くした親の悲しみが痛いほど伝わってまいります。
見伴上人は、子を亡くした父や母の悲しみを自分の心に入れ、そこからくる親の悲しみをこれ程に繊細に表している詩は他には無二だと思うのであります。
この続きは、来月号に載せさせていただきます。
合掌 宮 地
June 2007
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