Orange County Buddhist Church
菊と刀 前回よりの続き
先月号では、日本人とアメリカ人とでは《思考・哲学・精神》が根本的に違いがあることを述べ、そのわかりやすい例として《ある日本軍の司令官》を「菊と刀」より紹介しました。
今月号も同じように日本の軍隊を例として、日本人とアメリカ人との《思考・哲学・精神》の持ち方が違うことを〈名誉〉という点から掘り下げていきたいと思っています。
日本の軍隊は、兵士を消耗品として心の底においていました。
軍は、兵士一人と馬一頭とどちらかを救わなければならないとすれば、馬を先に救ったのです。
当時は、馬も兵士も一つの消耗品ですから一人の兵士より馬一頭の方が貴重だと考えられていたのです。これは、西洋思想では考えられないことです。
日本帝国軍人は、天皇陛下の為に命を捨ててこそ立派な軍人なのです。
また、ルース・ベネディクトは「菊と刀」の中でこう書いています。
例えば、俘虜として敵国に捕らえられた場合『西欧の軍隊ならば、最善の努力を尽くした後、もうこれではとても勝ち目がないとわかれば敵軍に降伏する。彼らは降伏した後も、やはり自分を名誉ある軍人としても国民としてもまた、彼ら自身の家庭においても辱めを受けない。
ところが、日本人は事態を異なったふうに規定していた。名誉とはすなわち、死に至るまで戦うことであった。
とても望みの無い状況に追い込まれた場合には、日本兵は最後の一発の手榴弾で自殺するか、武器がなくなっても適中に突撃を敢行し、集団的自殺を遂げるかすべきであって、決して降伏してはならなかった。
万一、傷つき気を失って捕虜になった場合にでも、彼らは《日本へ帰ったら顔を上げて歩けない》のであった。
彼らは名誉を失ったそれ以前の生活(軍隊に入った時)から見れば、彼らは[死せる者]であった。
もちろん降伏を禁ずる軍律がありはしたのであるが、明らかに前線で特に正式の教育をする必要はなかったらしい。日本軍はこの軍律を忠実に実践した。
その結果、例えばビルマ会戦の際の捕虜と戦死者との割合は、142名対17、166名。すなわち、1対120の比率であった。
そして、俘虜収容所に収容された120名中少数を除いて他は、すべて俘虜になった時には負傷していたか、あるいは気を失っていた者であった。
単独で、もしくは二、三人連れ立って「降伏」した者は極めて少数にすぎなかった。
西欧諸国の軍隊では、戦死者がその全兵力の四分の一ないし3分の1に達した時は、その部隊に抵抗を断念して手をあげる事が正当な判断とされている。
投降者と戦士者との比は、ほぼ4対1である。』
以上ルース・ベネディクトは〈名誉〉ということについて、東西の考え方の違いを指摘しているのです。
西洋は、降伏とは全力を尽くした後の結果であり、決して不名誉なことではなく戦争での負傷は名誉に値し、国にそして故郷に堂々と帰ることが出来る。あるいは、位が昇給することさえあるのです。
しかし、日本帝国軍人は降伏・戦争での負傷は不名誉なことであり、《恥》であったから国や家族のいる所へ帰ることは大変勇気のいることだったのです。
さて、以上のことを踏まえながら今日私たち日系アメリカ人が現代こういった〈名誉〉ということについても、日本育ちの人々とアメリカ育ちの人々とでは捉え方が違っているように思われます。
このことは日本人の《恥》という文化思想につながっている訳ですが、次号では日本的な考えの《恥》ということと、西洋でいう《恥》ということの違いを「菊と刀」から学びたいと思います。
今月号の『菊と刀』は、次号に続きます。
合 掌
宮 地
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