Orange County Buddhist Church
ご法事
私達仏教徒は葬儀をすませると「初七日」・「四十九日」のご法事がつとまります。よく皆さまから「初七日」または「四十九日」を何故するのか、またどういう意味があるのかと聞かれます。
これらのご法事の歴史的な資料がないので、起源などははっきりしておりません。原始仏教の経典からは、人間が死ぬと肉体は亡び魂は肉体から離れ、その魂は次の世へ行くと説かれ、信じてきました。そしてその魂は、それぞれの善悪の業によって次の六つの世界のうちの一つに行くのです。
六つの世界とは、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つで「六道」と言います。
日本では昔、仏教のお葬式で棺をかつぐ役目の人を六道と呼びました。今の棺側が六人になっているのもここから来たのではないでしょうか。(西洋の棺側も六人が普通ですから、この話の真実はわかりません。)
京都には「六道の辻」と言う所があります。この小路は東山の鳥辺山の火葬場(現在の東山五条で親鸞聖人の荼毘所でもありました。)に通じる道の名前です。
さて、本題にもどりまして「初七日」・「四十九日」の法事のことを追善供養とも呼びます。亡くなった方の魂が肉体から離れ、この世(此岸)とあの世(彼岸)の間にある「中有」という空間の世界に行きます。そこに「閻魔大王」が待っておられ、私がこの世(此岸)で行った全ての事を調べ、善悪のどちらの方の業が重いかを裁判にかけられ、私の魂の行き先が決められるという、いわゆる閻魔大王の裁判所を通ります。その結果によって地獄行きになるか、再び人間界にもどることが出来るか、それよりも善根が多ければ天上界に行って天上人になれるかも知れないのです。(学校の先生が、生徒の成績・素行などをしるしておく閻魔帳もここから来ているのです。)
閻魔大王が行う裁判で私の行き先の判決が下りるのに少なくとも七日間、多くて四十九日かかると言うのです。その判決が下りるまでに遺族の方々や友人は、自分達の善根をこの世から少しでも亡き人に差し上げ、追加して故人に少しでも良い世界に行って下さいという考えから始まったのが追善供養と呼ばれるもので、これが「初七日」・「四十九日」の法事の起こりであります。
初七日から三十五日までを「中陰」とよび四十九日をすませることを「満中陰」と仏教ではよびます。
次によく「四十九日」の法事の日付を決める時、「四十九日」の法事が三ヶ月にわたるといけないと言う人がおられます。しかし月の後半に亡くなられますと、どうしても「四十九日」のご法事は三ヶ月にわたります。仏教の教えの中には、「四十九日」の法事が三ヶ月にわたってはいけないとはどこにも書いてありません。この迷信は単純な語呂合わせから来ているのです。
「四十九日」を漢字にしますと「始終苦」と勝手に直して書き、三ヶ月を三月と読み「身つき」とし、始終苦が身につきまとうと作り上げた迷信です。
浄土真宗では、「初七日」・「四十九日」のご法事の目的は今は亡き人を偲び、そこから浄土を観念し、お念仏のみ教えを聴聞させていただく有り難い仏縁を亡き故人よりいただき、人生の目的に目覚めさせていただける慶びを心で表し、報恩感謝でお勤めさせていただくのです。
このことを浄土真宗の門徒としてはっきりと心の底に置いておかなければなりません。
「四十九日」のご法事が三ヶ月にわたっても、今は亡き故人も仏さまも罰を与えたりはされませんから、どうぞご心配なきように・・・・・
合掌 宮地