Orange County Buddhist Church
「母ちゃん、また私を生んでね」
多地映一という脚本家がおられる。彼は広島で生まれ、広島市で育った人です。いわゆる安芸門徒として育ったのでしょう。
彼は昭和二十年八月六日、十四歳の時に原爆を受けました。幸いに物陰にいたため即死は免れましたが、いわゆる原爆後遺症で随分悩まされていました。
戦争を憎み、国を恨み、人間を嫌い、自分が生まれてきたことすら不平に思い、何故この私がこのような後遺症で苦しまなければならないのかと悩み続けました。
そんな時、フッと近くの寺に出向きました。その時のお坊さんの法話は、偶然にも広島で原爆を受けた七歳の少女の事でありました。
〈少女は、原爆後遺症で苦しみぬきました。そして、亡くなる間際に
『母ちゃん、
また私を生んでね…』
の一言を残して死んでいったといいます。わずか七歳で人生を終えねばならない痛恨に加えて、残される母の悲嘆をせめて慰めようとするけなげな思いやりがここに込められているのです〉
多地氏は、この話しをお坊さんから聞くなり号泣しました。
原爆にまつわる悲話は数々あります。しかし、この少女の話ほど悲しくまた、温まるものは他に聞かないと多地氏は述べておられます。
この世を去っていかねばならない我が子の悲しさまた、我が幼子を送らなければならない母の痛みは、釈尊の愛別離苦の真実の教えをここに受け止めなければならないのです。
このどうしようもない人間の苦しみの中に光となり、温もりとなって包んで下さるのは、仏さまの慈悲と智慧です。ここに浄土真宗の救いがあるのです。
多地氏は、「この説教を聴聞してから心が変わった、人が変わった。七歳の子供ですら原爆症というとてつもない痛みと、苦しみを何一つ不平を言わず、じっと我慢をしその上、周りの人にまで気を遣う少女の優しさに目が覚めた」と云われます。彼は心より救われ、現在も脚本家として活躍されているのです。
合掌 宮地
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