Orange County Buddhist Church

二〇〇五年 年頭によせて

 明けまして おめでとうございます

 旧年中は、公私にわたり皆さまには、色々とお世話になり誠に有り難うございました。こうして仏法僧にご奉仕出来ますのも、門信徒お一人お一人の皆さまの「おかげさま」と感謝申し上げます。

さて、二〇〇五年の当仏教会のカレンダーを見ますと大変忙しい年になりそうです。特に今年二〇〇五年度の南部教区仏教徒大会は、当オレンジ郡仏教会が担当することになっております。

この大会は「ファミリー カンフレンス」とします。すなわち、幼い子供さんからおじいちゃん、おばあちゃんまでが会場でありますアナハイムのヒルトンホテルに一同し、お念仏の大会にしようというものです。

当仏教会は、ドンドン新しいプログラムに挑戦し、活動的な仏教会として護持発展させていきましょう。

その間、多くの問題や難儀なことにも出会うことになるかもしれません。しかし、その問題は聖徳太子の仏教精神であります『和』の心で乗り越えていきましょう。

どうか今年は柔軟な心で、お互いに理解し合い『和』のある仏教会・団体にしていきましょう。

「和を以て 貴しと為す」 聖徳太子

「我以外は、 皆師である」亀井勝一郎

        合掌   宮地

 

前向きに生きるとは

  京都西本願寺出版社より発行されています「宗報」の雑誌平成七年一月号の表紙の裏にあります聞思録に大峯顕 先生が、「前向きに生きるとは」という題で短文を載せておられました。

私はこれを読んだ時、〈そうだ、前向きに進む人生はこうなんだ〉という一つの道明かりを戴いたような気がして大変嬉しかったので、皆さまにご紹介させていただきたいと思います。

「もっと前向きに生きましょう」という言葉をよく耳にします。これは正しい知恵を云っていると思います。それどころか仏教は、実はこの前向きの生き方に徹底することを説いているのだと思います。

前向きとはなんでしょうか?

人生は苦諦すなわち「苦しみ」から逃れられないのです。

生まれて来ることが苦の根本なのです、老いること、病むこと、死ぬことみんな苦なのです。

前向きに生きるとは、これらの苦の前で立ち止まらずにこれらと歩調を合わせて進むことだと思います。

病気になった時、今まで達者だったのにどうしてこんなことになったのか;と思うのは、後ろ向きの生でありましょう。病気の現在と一緒に歩いていないからなのです。

若い頃は、良かったのに;と嘆いたとたん後ろ向きなのです。前へと進む自分の老いに取り残されているからです。

現世しか持たないような生き方もやはり後ろ向きと云わなくてはなりません。 死の前に立ちすくまず、浄土への一歩を踏み出すことのできる生こそ本当に前向きだと云えるでしょう。

往生浄土を信じない人生は、どんなに前向きと云っても見せかけにすぎません。

親鸞聖人は浄土の命すら尚、立ち止まる最終点ではないということを教えておられます。

往相回向は、還相回向に転回するという聖人の力強い浄土真宗は、徹底的に前向きであります。

 愛宕山入る日の如くあかあかと
 燃やして尽くさん残れる命
            西田幾多郎

私は、この大峯先生の考え方・生き方に大変賛成するものであります。もちろんこの私が、どこまでこの前向きにこれからの人生を進むことが出来るかは問題がありましょうが、少なくともこのように前向きの人生で進もうという一つの目標・姿勢が与えられたのであります。

もちろん、私たちは善きにしろ、悪きにしろ古い事や想い出、経験などを大切にしていきます。しかし、前向きに生きることはこれらの過去の事一切が明日に生きる為の力とならなければならないのです。

仏教の大切なみ教えのなかに「転悪成善」というお言葉があります。「苦」を乗り越えるということは苦を無くすことではありません。「苦」を転じていく力が南無阿弥陀仏なのです。      

合掌    宮 地

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