Orange County Buddhist Church
光隠矢の如し
二〇〇四年も残すところあと僅かに成って参りました。
「光陰矢の如し」と申します。この光は日のことであり、隠は夜のことですから、月日とか時間をあらわし、「矢の如し」は矢のように飛び去るということです。本当に月日が経つのは早いもので、もう今年も師走を迎えました。
今年の世界情勢は決して平和な一年だったとは云えません。イラク戦争はいまだに終結を見ず、多くの犠牲者が出ております。しかし私は最近の中近東でのテロや戦争による多くの死者が新聞やテレビで報道されても、それほど驚かくなりました。
人間にとってこの「馴れ」ほど恐ろしいものはありません。私たちが「驚き」や「感動」を喪失すると、貧しい性格の人間になっていくように思われます。常に新しい経験として、あらゆる出来事を受け止めていくようにしたいものです。
お念仏のみ教えを聞かせていただくときも、その時その時のご法話は、初耳で御座いますと謙虚に聞かせていただくことが浄土真宗の姿勢です。
二〇〇四年というこの一年は、二度とない一年であります。今日の一日は、今日一日のみの日であり、それに代わる日はもう無いのです。私たちの一息は一度だけのもので同じ息はもう決してすることは無いのです。これは、「今」大切に生きなさいと言う教えです。私の過去はもう変えることは出来ません、私の将来はまだ来ていません。確かな今をしっかり悔いのないように生きましょう。
二〇〇四年は、当仏教会に取って記念すべき年になりました。それは、当仏教会の独立四〇周年の慶讃法要を厳粛かつ盛大に営んだことです
当日はボールロード土地の「鍬入式」も行い、その後は楽しい昼食会となりました。こうしてオレンジ郡仏教会の新しい歴史の一ページを飾ったのが二〇〇四年でした。
その他色々な宗教行事やお盆。花祭りバザーも盛大に終わりました。この他にもミーティング等色々な行事がありました。こうして間もなく今年も閉じようとしております。
今年も当仏教会が、無事に年の瀬を迎えることが出来ますことも、ひとえに門信徒の一人一人のご尽力とご援助のおかげさまとこの紙面を通して心よりお礼を申し上げます。
さて、お話を「今」を大切にするということに戻しましょう。
仏教では、諸行無常ということを説きます。この教えは「今日一日を大切に」ということをも教えています。
儒教学者、鴨長明は
「朝に死に夕べに生きる習い
唯水の泡にぞ似たりける」
と言いました。
中国の詩人、李白は
「浮世は夢の如く
むだをなすこといくばくぞや」
と言っております。
イギリスの劇作家、シェークスピアは
「人間の一生は束の間の灯火」
と言っております。
『徒然草』の作者、兼好法師は
「死は前方から来るのではない、あらかじめ背後に迫っている」
これは大変意味深い言葉ですね。
ローマの思想家である、セネカは
「人生は短かいのではない、この人生を短くしているのが自分自身である」と書いています。そして続いて、
「人生は短いのでは無い、人々はうっかり、ぼんやりしてこの人生を濫費しているのだ。何故に人々は自然に対して不足・不平を云うのか、人生はその使い方を知れば長い世の中には飽くことを知らない、貧欲にとらわれている者や他人の口に絶えず動かされて、野心に引きずられて疲れ果てている者などこれらの生きざまはいずれも人生を短いものにしている。生きることの終わりに近づいて、その土壇場になって生きることを考えるのは、もはや遅いのではないか。大切な人生を無駄にするか、有意義なものするかは自分自身の選びである。今日一日を大切にして無駄にしないことであろう」
最後に浄土真宗第八代門主、蓮如上人は
「朝には紅顔あって 夕べには白骨の身なり」とされ、「されば、人間の老少不定のさかいなれば、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏とふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり」
とお説きくださいました。
どうかこれからも、ますますご聴聞に励まれ、お念仏をさせていただける人生にしていきましょう。
ごあいさつ
二〇〇四年のカレンダーも、残すところあと僅か一枚となりました。今年も多忙な年で御座いましたが、無事にこの師走を迎えられたことは、この上もない「おかげさま」の世界です。
今年も、宮地彰雄・民子とも、オレンジ郡仏教会のメンバー一人一人の皆さまに、公私にわたりまして大変お世話になりましたこと、この紙面を通して心からお礼を申し上げます。
二〇〇五年は、南部教区仏教徒大会の担当に当たっております。その他にも色々な行事や催しが控えております。どうか、来年も皆さまのご協力とご支援のほどをよろしくお願い申し上げ、益々オレンジ郡仏教会が、お念仏と共に発展しますよう念じ上げまして、年末のご挨拶に代えさせて頂きます。
ありがとう御座いました。
合掌 宮 地
![]()