Orange County Buddhist Church

釈尊(しゃくそん)生誕(せいたん)

 (はな)まつり法要(ほうよう)」によせて

 

   四月(   がつ)は、お釈迦(しゃか)さまがお()まれになった(つき)であります。世界(せかい)仏教徒(ぶっきょうと)釈尊(しゃくそん)のお()まれになったことを(よろこ)び、お(いわ)いをします。

   今月(こんげつ)は、お釈迦(しゃか)さまとその()()たちのある、お(はなし)をいたしましょう。

(むかし)、インドのある(やま)(ふもと)に、約七十戸(やく        )ばかりの(むら)がありました。その(むら)は、(      )()(だい)(つづ)いて農業(のうぎょう)牧畜(ぼくちく)とを生業(せいぎょう)として、()らしていました。

     ある()釈尊(しゃくそん)がその(むら)でご説法(せっぽう)をされました。村人(むらびと)たちはその説法(せっぽう)に、(ふか)(かん)(どう)しました。そして、幾人(いくにん)かの(おとこ)たちが(しゃく)(そん)弟子(でし)()りたいと(つよ)希望(きぼう)し、(もう)()ました。お釈迦(しゃか)さまは心温(こころあたた)かくその(もう)()()けられ、そして(ぶつ)(どう)(あゆ)むことは(けっ)してやさしい(こと)ではなく、(かた)決意(けつい)()ることを重々(じゅうじゅう)(つた)えになられました。

    (むら)(おとこ)たちは家族(かぞく)とも相談(そうだん)をし、釈尊(しゃくそん)弟子(でし)()ることを決心(けっしん)しました。お釈迦(しゃか)さまは大変(たいへん)(よろこ)びになられ、その村人(むらびと)たちを弟子(でし)にされ、()(つづ)布教(ふきょう)をされるため、その(むら)出発(しゅっぱつ)されました。

    それから、しばらくしてからのことです。天候(てんこう)(わる)くなり、大雨(おおあめ)となりました。お釈迦(しゃか)さま一行(いっこう)は、ある(いえ)避難(ひなん)されました。(あめ)三日経(みっかた)っても、()みませんでした。そのうち新弟子(しんでし)たちは、(こころ)不安(ふあん)になってきました。

    「(むら)大丈夫(だいじょうぶ)だろうか、先祖代々(せんぞだいだい)からずっーと()()ぎ、一生懸命耕(いっしょうけんめいたがや)した()(はたけ)をあのままほっておくのは、馬鹿(ばか)らしいではないか」、「毎日毎日(まいにちまいにち)せっせと()ってきた、(うし)(うま)をあのままほって()くのは、(なん)としても()しいではないか」、「(つま)()(ども)は、今頃(いまごろ)どうしているだろう」と(おも)うようになりました。

    お釈迦(  しゃか)さまは、そういった弟子(でし)たち(こころ)(どう)(よう)をみぬかれて、弟子(でし)たちにこう(はな)されました。

    『そこに(ぬの)()ちているだろう、それを(ひろ)ってごらん』 弟子(でし)はその(ぬの)(ひろ)いました。

    釈尊(しゃくそん)(つづ)けて、

    『その(ぬの)(いま)まで(なに)(つつ)んであったか、()ってみなさい』 「はい、しかしひろった(とき)には(なに)(はい)っていませんでした」と、弟子(でし)(こた)えました。

    釈尊(しゃくそん)は、

    弟子(でし)よ、()(かんが)えて(こた)えなさい』と、(ねん)をおされました。弟子(でし)(こま)ってしまい、(おも)わずその(ぬの)(はな)にあてて、(にお)いました。「お釈迦(しゃか)さま、わかりました! この(ぬの)には、お(こう)(つつ)んであったものと(おも)われます」と(こた)えました。

    釈尊(しゃくそん)は、にっこり微笑(ほほえ)まれましたが、(さん)()ほど(あゆ)まれて、さらにその弟子(でし)に、

    (とも)よ、そこに()ちている(なわ)(ひろ)いなさい。そして、(いま)まで(なに)(むす)んであったか()ってごらん』と(たず)ねられました。

    その弟子(でし)は、早速(さっそく)その(なわ)(ひろ)いました。この(なわ)には、(なに)(むす)ばれていませんでした。そこで(ぬの)(とき)(おな)じように、その(なわ)()(ぶん)(はな)()てて(にお)いました。

    「お釈迦(しゃか)さま、この(なわ)大変生臭(たいへんなまぐさ)悪臭(あくしゅう)がしますので、(ふる)(さかな)(むす)ばれていたと(おも)います」と(こた)えました。

     釈尊(しゃくそん)は、(ふか)くうなずかれ、そしてお()げになられました。

    『あの(ぬの)も、この(なわ)も、(こう)()かずけば(こう)()(ひお)いがし、生臭(なまぐさ)いものに(ちか)ずけば生臭(なまぐさ)いものに、自然(しぜん)()められてゆく。(こう)(かたち)(さかな)(かたち)(いま)はすでに()くとも、芳香(ほうこう)悪臭(あくしゅう)がのこって、もとの(かたち)()ることが出来(でき)る。

    (すべ)てのものは、(なに)かにふれれば(かなら)(なに)(のこ)ってゆくものだ。おそろしい道理(どうり)だ。しかも、(ぬの)(なわ)自然(しぜん)()められてゆくことを、それ自身(じしん)気付(きづ)かないのである。なお(おそ)ろしいことである』と、お()きになられ、『弟子(でし)たちよ、この道理(どうり)をよく(かんが)えてから判断(はんだん)するがよい』と(つた)えられました。

    弟子(でし)たちは皆心(みなこころ)をあらたにして、お釈迦(しゃか)さまと(とも)(たび)(すす)まれました。

    このお(はなし)は、『法句譬喩経第一(ほっくゆいきょうだいいち)()()てくるお(はなし)ですが、大変意味深(たいへんいみぶか)(たとえ)(ばな)しです。

    (みな)さまどうか、オレンジ郡仏教会(ぐんぶっきょうかい)の「(はな)(まつ)大法要(だいほうよう)」にお(まい)(くだ)さい。そして、(うつく)しいお(はな)()(かお)りを(こころ)(つつ)んで(くだ)さい。

                                                合掌 宮地 彰雄

APRIL 2008

Top of Page