Orange County Buddhist Church

花まつりによせて

 西に向かって行こうとするに、それは百千里の遠い路である。静かに見開かれた太子ゴータマの眼前に、鉢を持ち錫杖を手にした僧が立っていた。

太子の波紋は消えた。はじめて清らかなそして、端麗な姿に心が洗われる思いであった。

「そなたは、どなたでしょうか」
「はい。わたしは比丘であります」
「比丘?比丘とは何ですか」
「はい。比丘とはよく煩悩の賊を破り、遂には迷界を離脱し、生死界の輪廻の束縛から解かれているものであります。

世間は、無常でないものはありません。私の学んでおります煩悩のない聖道は、あらゆる世上の法に染まることなく、この世を解脱して永遠に常住の世界にまいるのでございます」

自身に満ちたその一声一言に、太子ゴータマの瞳は燃えた。

しかし、僧は言い終わると神通力を現して高く虚空へ飛んだ。

太子ゴータマの胸に一つの確信がおこり、雲晴るるようであった。

全身に力がみなぎり、十九歳の青春は花ひらく思いであった。

「善いかな善いかな、この世においてただ比丘の道だけが最勝である。わたしは今日より確実に比丘の道に進む」と仏陀出家の動機を『仏教説話全集(十二)』は伝えている。      

  無論、太子ゴータマのこの決心は十年後の二十九歳に決行されておられることは周知のとおりであります。

さらに仏陀となられるのは、その後約六年の歳月を経るのです。

一人の人があって、西に向かって行こうとするに、それはまことに百千里の遠い道であります。

「道を歩む旅人」が、ふとしたことで深く「自分は、これでいいのであろうか」と思い迷いもあったでしょう。

しかし、旅人は西に向かい始めると人生をとり囲んでいる全てのものが「命」と「光」となり、輝きはじめるのです。

太陽が、月が、一本の道が、草木や花一輪が、この煩悩多き私を荘厳し、仏国土へ導いて下さるのです。釈尊が、仏陀として自覚されたその道を私たちに示して下さったのです。

私たちは、その道を一日一日歩まさせていただくのです。

四月の花まつり大法要は、そのお釈迦さまのご誕生をお祝いする意味深い式典であります。

      「信仰」十月号第四十三巻参考

合掌   宮 地

April 2007

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