Orange County Buddhist Church
平和な朝
最近、先進国で共通して起こっている現象に、一般大衆が〈新聞〉をよく読むという傾向があるのだそうです。
もちろんテレビ・ラジオによる情報・ニュースなどは速さがあり、色々な角度からの専門的解説もすぐに伝えてくれるので、私達の日常生活から離す訳にはいきません。
しかし現代、再び新聞に人気が出てきたという事は、ニュース・情報の速さもさることながら、ある出来事に対してゆっくり自分の思考を入れ、自分の判断でニュースを聞き分けるという大切な要素が現代の人々に少しづつではあるがわかってきた証拠ともいえそうです。
すなわち、テレビ・ラジオはスピードのある流れの情報であり、放送局などで全てセットされコントロールされた番組でありますから、コマーシャルなども容赦なく入ってきます。
しかし、新聞は伝えられた情報・ニュースを自分のスピードで自分の思考を入れながら、自分の判断でそのニュースなどを捉えることが出来るという点に、再び現代の大衆に親しまれてきているということなのでしょう。
要するに現代人が新聞から色々な情報を知ることは、テレビ・ラジオからのニュースとは違った味わいを得られるからのように思われるのです。
私がアメリカに来て珍しく思ったものは、ホテルやレストランの前にある新聞を売っているケースといいますか、スタンドです。新聞が欲しい人は、コインをボックスに入れて自分で小さなドアを開け、新聞を一部取る仕組みです。
日本にはこういった街の歩道に新聞用のボックスやスタンドがあるのは、まだ見たことがありません。
しかし、日本もアメリカも新聞を配達するいわゆる“新聞少年”は同じ光景です。
日本の新聞少年は、新しく刷られた新聞を束ね上手に音をたてて折りたたんでから、一件一件郵便受けなどに入れて配って行きます。
アメリカは、新聞のページ数も多いこともあり、各家のドライブウェーか玄関の前に投げ込んでいきます。いづれにせよ私は、この少年達が新聞を配って行く光景を見るのが大好きなのです。
アメリカにせよ、日本にせよ、一般の家庭はこの新しく印刷された新聞を開くことから一日が始まる所が多いようです。
さて、私が以前に勤務していました、サンデェーゴ仏教会にも元JrYBAの青年でサンデェーゴのサラリーマンが多く住む区域に朝刊を長い間(約六年間)配達していた少年がいました。
今月号は、この少年のお話をご紹介いたしましょう。
私がある日曜日に、彼となにげなく話しをしている間にこの新聞配達の事を詳しく聞くことが出来たのです。
一口に云えば何でもないような新聞配達の仕事も大変な苦労があることをその時教えられました。
私が彼に先ず尋ねたことは、朝刊ですから「空の暗いうちから起きて、仕事に行くのは大変だろう?まして遊び盛りの年頃、時には夜遅くまでテレビを見たり、友達と遊び遅くなって帰った次の日の朝など大変だろうなぁー」と聞きますと、彼は「それは仕事の条件のうちだから何でもない」と答えてくれました。
一番辛かったのは、購読者からの苦情だったそうです。それらの苦情について一つ一つこの紙面では書き尽くせませんが、その二、三を書いておきましょう。
一番多い苦情は「今日は新聞が、届いていない」というケースです。
しかし、これも殆どの場合配達のミスではないそうです。配達する人は、毎日何時にはどこの家を通り、あと何軒配り、あと何部新聞が手元にあるか、全て手で憶えてしまうそうです。だから届られていないのではなく、誰か(誰かとは犬も含まれるそうです)が持ち去るケースが多いそうです。
次に多いのは、新聞が濡れているケース(今はプラスティックの袋に入っていますが)だそうです。これも色々な原因があるそうです。
また時には、「広告のチラシが隣に入っているものが、自分の所には入っていない」という文句もあったようです。これは彼の責任ではないようですが…。
まずまず、この紙面では書き尽くせない苦労がある事が、彼の話によって知らされました。
しかし、彼はどんなにボスに叱られてもこの新聞配達の仕事を辞める気にはならなかったそうです。
彼は、お金にはそれ程困ってはいなかったのですが、CDプレーヤーが欲しくて友達三人でこの仕事に入ったそうです。
彼は、私にはっきり「自分で働いてもらったお金は、本当に価値があるよ。先生」とこう言い切りました。
そして、彼はこうも話してくれました。
「先生、僕が朝早く仕事に行く時、ママはいつも起きていて、〈気を付けて行きなさいね〉といって玄関まで僕をおくった後、歩いているんだよ」。彼は足の弱いお母さんが、少しでも運動をしてくれるのが嬉しくて自分も元気が出たそうです。
「それにある家のおじいさんは、いつも家の前の庭を手入れしながら手を上げて、僕が投げる新聞を両手でキャッチして〈グッド スロー サンキュー〉と手を振ってくれるんです。」
「また、アパートに住んでいる、あるおじいさんもいつも〈サンキュー〉と云ってくれるのがうれしいんです。僕はとっても気分良く、一日が楽しくなるんです。だから僕はママを含めて、こんなに僕の仕事を支え、暖かくしてくれる人がいてくれたから、高校を卒業するまでこの仕事を一日も休まず頑張れたんです」
私がまだまだグーグーとイビキをかいて寝ている時、朝まだ空の暗いうちから、こんなにも素晴らしい人間味の溢れた暖かい世界が始まっているんだなぁーと痛感させられました。
また、彼はこの仕事によって大切な人生経験をし、これからもお金を大切にするだろうとその時に感心させられました。
小さな親切が、小さな笑顔が、小さな挨拶がそして、小さな感謝が、どれ程人の心を暖め、勇気づけ、平和にしていくことが出来ることかをこの青年の話から私は学びました。
さぁー、私達も人さまからそれを求める前に、先ず私から早速実行しましょう。
合掌 宮 地
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