Orange County Buddhist Church

阿弥陀仏と釈尊

四月は生きとし生けるものが命の躍動を感じる月だと思います。花がいき良いよく咲き、木々は緑に輝き、動物たちが元気に動き回るのが聞こえます。

また四月は世界中の仏教徒がお釈迦さまのお誕生をお祝いします。

今月号は阿弥陀仏と釈尊についてお話をいたしましょう。

ある仏教会では二月に「涅槃会」を営みます。「涅槃会」とは、お釈迦さまの入滅を意味するご法要です。

よく釈尊は仏である、よって「死」とか「入滅」とかは無いはずという疑問を持つ人がいます。もちろんお釈迦さまは仏であり、超人であるとする教団もあります。釈尊は確かに聖なる方であり、偉人であることは間違いのない事実であるが、浄土教・大乗仏教の流れでは釈尊を神格化することなく、真理(ダルマ)を見極められた(悟り)方であり、その伝道者(教典等)であると尊ぶのであります。

釈尊は、絶対永遠なる真理を全身・全心で受けとめられ、その真理(ここでは阿弥陀仏の慈悲と智慧)に帰依されていかれた方である。仏教の流れの中で、お釈迦さまは仏より下りてこられた向下説と、人間ゴータマシッダルタが悟りを開き仏の世界に入られたという向上説とがあります。

私はこの後者である向上説を信じるものであります。何故かと云いますと、色々なところで説明ができますが、一番解りやすいのは、「入涅槃」の時の最後の説法でありましょう。

釈尊が八十年のご生涯を終えられる時、すなわち臨終の間際に直弟子のアーナンダ(阿難)に残されたお言葉は、

「あるいは汝のうちにかく思う者がいるかもしれない、我ら(釈尊の弟子達)の師(釈尊)はもはやいないと、だがそう思うのは間違いである。私の肉体はここに滅びても、私の教えは永遠に生きる。だから私の肉体を見るものが私を見るのではなく、私の亡き後は、私によって説き遺した教えと戒めが汝の師である。これを保って汝の師とするがよい」と語り残しておられます。

このことによりはっきりする事は、釈尊自身は決して仏ではないと云っておられることであります。釈尊自身が絶対真理(ダルマ)を仰がれたということであり、釈尊自身「法」をよりどころとされていることであります。「阿弥陀仏」と「お釈迦さま」と混乱して考える方があります。

阿弥陀仏とは、絶対普遍なる真理であり、不可称・不可説・不可思議でありこの世を超越しています。

釈迦牟尼仏とは、歴史上の仏であり、絶対なる真実を諦らかに体験され、それを我々にお説き下さった方なのであります。

大事な点では釈尊自身が阿弥陀仏を諦観され、深く念じ仰いでいかれたということですから、私たちが釈迦牟尼仏とお慕いするのです。

昔から阿弥陀仏とお釈迦さまとの説明に、わかりやすく地球の引力とニュートンの話が出されます。地球の引力を仏さまの力とします。そしてニュートン(イギリスの物理学者・天文学者・数学者で万有の引力の原理を発見した人)はお釈迦さまとします。

引力は地球の出来た大昔より存在し、働き続けてきました。ニュートンは私たちに落下の法則をもって引力というものを説明しました。これは丁度お釈迦さまが仏教をお説きになられたことに似ています。

大切なことは、引力はニュートンによって造りだされたものではなく、真実を証明、説明したということです。

絶対なる真実とは、永遠に変わりのない普遍のものであります。親鸞聖人はそこのところを「色も形もにおいもなく」と言われました。その真実を諦観され、衆生にお説き下さったのであります。

仏教の教えでは「三身仏」すなわち法性法身(真実普遍なるもの)・報性法身(法蔵菩薩)・応性法身(釈尊)で説明されます。

以上のことをしっかり頭に入れておきまして、お釈迦さまが私たちに取りまして最も身近な仏さまということがおわかりと思います。四月はそのお釈迦さまのお誕生をお祝いします。

仏教徒に取りましては大切な法要なので御座います。

      合掌    宮 地

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